2008年(平成20年)6月14日(土)午前8時43分頃に発生した岩手・宮城内陸地震
3月20日午前10時13分に発生した福岡県西方沖地震は、福岡市や佐賀県南部で震度6弱の揺れを記録、震源に近い福岡県玄海島では家屋の崩壊などの被害を出した。福岡市中心街、天神の十階建て「福岡ビル」の窓ガラス930枚のうち、約360枚が割れて落下、歩道に散乱した。今回の地震に関連する市街地での象徴的な被害事例として新聞、テレビなどで大きく報じられた為「ガラスの雨が降り注ぐ」などと落下するガラスの危険性に関心が集中した。
人通りの少ない日曜の午前中であったため、幸い通行人への被害はなかったが、曜日と時間帯によっては大惨事になる可能性も高かった。国土交通省は1978年の旧建設省告示改正前に建てられたビルの窓ガラスの耐震性を緊急点検するよう政令都市や都道府県に指示し、問題があればビル所有者に耐震の改修工事を求める方針。
東京大学社会情報研究所によると、震度6を記録した「釧路沖地震」は釧路市内に大きな被害を及ぼしました。家具の倒壊によるガラス破損、シャンデリアなどの落下による負傷者も出ました。「食器棚を押さえていて、破片で手を切った」「停電中、足元のガラスを踏み抜いた」などの訴えが目立ち、負傷例の約4分の1がこうした切り傷でした。
淡路大震災では市街地のビルが大きな被害をうけていますが、最新のガラス張りのビルには大きな損傷はなく、ガラスの被害は古いビルに集中していることがわかっています。比較的新しいビルは外壁への衝撃を和らげる工法がとられているものが多く、ガラスへの被害が少なかったようです。
古い建物には窓枠とガラスとのすき間が狭かったり、78年以降は建築基準法で基本的に使用が禁止されている硬化性の材料(パテ)を使ってガラスを固定している窓が多く、被害はこうした建物に集中しています。(95年2月6日、朝日新聞より)
1993年1月の「釧路沖地震」(マグニチュード7.8)、94年10月の「北海道東方沖地震」(マグニチュード8.1)、94年12月「三陸はるか沖地震」(マグニチュード7.5)と、わずか2年の間に日本列島の太平洋側の海底を震源に起きた大地震は、ガラスの耐震性について新たな盲点があることを示唆しています。三つの地震で被害の大きかった釧路市、根室市、八戸市はいずれも震度6(烈震)の激しい揺れに見舞われました。ところが、地震の規模(マグニチュード)が一番小さく、震源までの距離も遠い「三陸はるか沖地震」が、負傷者や建物の被害がもっとも大きかったという結果が出ています。
地震直後の調査で、死者3名、負傷者688名(八戸市内だけで596名)と「北海道東方沖地震」の負傷者435名をはるかに上回っています。これは、ガラス破損による負傷者が他の地震に比べて圧倒的に多かったためとみられています。八戸市の中心部では、激しい揺れによって、床から天井まである商店の大型のショーウィンドーやビルの窓ガラスが各所で割れ、歩道や車道に飛び散りました。なかには表通りに面した窓ガラスの半分近くが割れたというスーパーもありました。
大型のガラスだけではなく、家庭や学校など一般の窓ガラスもかなりの数が割れました。病院で手当てを受けた負傷者の大半が、室内に散乱したガラスの破片で手や足にケガをしています。青森県の被害集計によると、八戸市の公立小中学校55校のうち半数以上の31校から窓ガラスの破損が報告されています。このうち、100枚以上割れた学校が3校もありました。
また、この地震の余震(マグニチュード6.9、震度5=強震)でも、割れたガラスの破片20数人が負傷しています。さらに全面大きなガラスが使用されている郊外のパチンコ店の被害も報告されています。1985年10月におきたメキシコ地震では、震源から400キロも離れたメキシコ市が2分半から4分に及ぶ横揺れに遭いました。500棟のビルが崩壊、約1万人の死者が出ました。当時現地を調査した守屋喜久夫日本大学教授(応用地質学)は、「長い横揺れで、地上の建物の固有周期と地震波の周期が一致すると共振現象が起きて予想外の被害になる。八戸市でガラス被害が多かったのも、それと関係があるのかもしれない。」と話しています。(1995年1月17日、読売新聞から抜粋)